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北方謙三「水滸伝 十五 折戟の章」

北方版の水滸伝との出会い

北方謙三版の水滸伝を最初に読んだのは大学生のとき。当時は十巻まで読むか読まないかで止めてしまいました。

面白いとは思いつつも、長さと登場人物の多さにめげてしまいました。

数年前に再び挑戦。

今度は水滸伝・楊令伝・岳飛伝と読み切りました。

今回は、水滸伝シリーズ2周目です。

水滸伝だけでも十九巻あるうちの十五巻という半端な巻から感想を書き始めます。

以下ネタバレ

北京大名府を占拠

十五巻の読みどころは2つ。

一つ目は、梁山泊軍の軍師・宣賛の案で北京大名府を陥とした場面。

女性や負傷兵など、通常の戦闘に出ない人たちを動員して北京大名府を攻めます。その中で、戦闘に耐えられる体でなかった黄信が宋軍の審亮を倒すのみならず、劇的に回復していきます。

梁山泊軍の総力戦、どの戦線もギリギリの戦いをする中、ただ大軍に見せかけるために投入された負傷兵の気持ちは、簡単に「わかる」とは言えません。

敵に遭遇しても剣を振るうことさえ出来ない。そんな状態で城郭を攻める振りをさせられる。

それでも自分の戦いをした黄信。

見ていられなくもあり、それなのに格好いい!

この戦いで死んでしまうのかと思いきや、黒いものを吐いた後の回復。

生命力の凄まじさを感じました。

このあとの場面で、盧俊義が自分の命の終わりを語る場面があります。

盧俊義は体と心を毀されて、あるところまで回復はしたものの、盧俊義自身は自分が死ぬことを感じています。死を語りながらも、悲しくは感じませんでした。むしろ「自分の死の利用の仕方を考えておけ」という台詞に、強かさと冷徹さを感じました。

生命力。医師の安道全にもわからないものの存在の、二つの姿が印象的でした。

楊令と張平

もう一つの読みどころは、子午山での暮らしです。

元官軍師範の王進とその母・王母のもとで、楊令を始め何人かの心に何かを抱えた者が入れ替わりつつ暮らしています。

張平が子午山で暮らし始めると、今まで父母や兄のような人と触れ合ってきた楊令にとって、弟のような相手になります。

残酷な場面を目撃したことで、二度も言葉を失った楊令。あたたかな人達との暮らしの中で子供らしくなり、そこから成長してきました。

楊令は自分が与えられた物を張平に返す。

張平はそのあたたかさの中で自分の盗癖を恥じ、楊令と過ごすことで心を落ち着けていく。

革命や戦いを描く作品の中で、静かであり、その人にとって重要な意味を持つ暮らしの営みがあるとほっとしました。

また、心に重いものを抱えた年少者が、それを乗り越えて行く姿は胸を打ちました。

まとめ:生きる姿

水滸伝はどの巻もそうですが、人が生きる姿を様々な形で見せてくれます。

死にそうだった者の回復。

遠からぬ死の予感と残される者の思い。

子供達の、とくに精神面の成長。

十五巻はこのような場面に注目して読みました。

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